古典落語『井戸の茶碗』を再び観ました。
再び観ることになったきっかけは、
古道具屋を営む娘婿と商売について話している時のことです。
娘婿は、実に正直者で親切極まりなく、控えめだけど、
必要な時にははっきりと自分の考えや意見も言葉を適切に選んで伝えることができる人です。
よくご縁をいただいたものだ!と娘の目利きに感心です。(o^^o)
で、その娘婿の話を聞いていた私は、
登場人物がすべて実直な善人という明るい人情噺、井戸の茶碗を思い出し、
私なんかがとやかくいうよりも
『人生で大事なこと』をそのお噺を通じて伝え、
本人が大切にしたいものを本人に確認してもらいたかったからです。
古典落語『井戸の茶碗』
主な登場人物は、美しい娘がいる裏長屋に住む浪人、千代田卜斎(ちよだぼくさい)、
細川家家臣で江戸勤番の若い武士、高木佐久左衛門(たかぎさくざえもん)
「正直清兵衛」と呼ばれた正直者の古物商、くず屋清兵衛せいべい、
この三人が繰り広げる世界には、それぞれの哲学があり、
その哲学がとても美しい!
それぞれの哲学でやりとりをしている内に、
登場人物全員が生活を向上させていくというお噺です。
お金を自分の方に引き寄せようとしなくても、
「あり方」を天はちゃんと見ていて、
それが入ってくることになっているというストーリー。
まさに、『人生が自然と好転する人のあり方』のお噺だと思います。

やり手!バリバリ!凄腕などと思われることがありますが、
実はそんなことはまったくなくって
ある日は、疲れに疲れて12時間も眠っていたこともあるくらい、
神経が細くって、小心者なのです。。
また、ある日は、ちょっと教えてもらいたいことがあって
不動産さんに立ち寄ったら、そこの社長様の熱弁を2時間あまりも聞きながら
私なりの哲学もとらっとお話させてもらったりして
帰宅して、なんか疲れたーーと思ってたら、
みるみるうちに唇が真っ赤に腫れ上がってしまってました。
原因は、のぼせたのです。だから「のぼせ」ができたです。(笑)
また、ある日は、母の介護関係の契約をするにあたり、
何人もの人と出会い、いくつもの書類に署名捺印をしたのですが、
これもまた私なりの哲学で物事を判断しながらだってので
相当神経を使ったようで、翌日は12時間、
眠り続けてようやく元の体の状態に戻れたこともありました。
大の大人が、そんなことくらいで、
翌日の1日を休養に充てないと疲れが
取れないなんてあまり聞かないじゃないですよね?
その場では、ちゃんとしなくちゃ!と
気をはっているようですが、
その気の張りようは、他人から見た目はもちろんのこと、
自分自身の自覚以上のものがあるようです。
そういえば、確か中学生だったか高校生だったか、
父から「みっちゃんは、体よりも気持ちの方が勝っているから、
体が引きずられているなあ〜」と言っていたことがあったな・・・。
話がそれましたが、その営業実績から、
やり手!バリバリ!凄腕などと思われることがありますが、
実はそんなことはまったくなくって実は、
神経が細くって、小心者、自分の哲学に懸命に沿って生きているだけなのです。
その結果、井戸の茶碗の世界のことが
私にも起きたというのが本当のところです。
私は思うのです。
ピュアな気持ちな哲学を持つこと、
そしてそれに沿って生きることで人生は自然と好転するのです。
他人から見ると、
「がむしゃらには見えないのい、そつなく稼ぎ豊かな生活を送っている」
「まるで魔法をかけたかのように、思い通りの人生を歩んでいて幸せに満ち溢れている」
この古典落語「井戸の茶碗」に出てくる人たちの生き方を
「清貧」とする見方もありますが、私には、
「人生が自然と好転する人のありかた」
そうなる「哲学」が込められているように思えます。
動画は三代目古今亭志ん朝28分23秒
あっという間に引き込まれる名人芸です。(o^^o)